職場の同僚が無自覚に差別的な発言をする、やんわり否定するけど
平行線になる会話にそのうちそういう話の時は無視するようになった
案の定大阪の知事をべた褒めしてるのであいつクソ野郎ですよ、とだけ言った
別の同僚がアメリカの黒人の暴動が理解できない、といった感じの発言をした
なぜ略奪につながるのか?の問いがいきなりで頭が回らず言葉が出てこない
これまた曖昧な返答をしてしまい、帰りの電車の中死にたいくらいに後悔した
ジェスミン・ウォード「歌え、葬られぬ者たちよ、歌え」を読んで
とんでもない傑作で余韻を追うようにトニモリソンを何作か読んだ
なんとなく古典って感じで避けてたけどいきなりいまいちばん夢中な作家になった
ジェームスボールドウィンのビールストリートの恋人たち読んでるときに
今回の暴動に発展する事件が起きた
そんな中での同僚からの問いに答えられなかった、沈黙は加担だと思ってる
これは中国韓国を小馬鹿にする同僚にも当てはまる同じ構造の問題だと思ってる
でもこれがマジョリティなんだって嫌ってくらい認識させられる
偏見に向き合って声をあげる人を穿った目で見てせせら笑うこの社会はなんなんだ
この間まで空いてた電車の中にまたちょっと死んだような無言の活気が戻ってきて
誰とも近づかないスペースに逃げ込みながら差別や偏見について思いめぐらしながら
読んでた本の一節が、無慈悲な啓示のように書かれてるのが目に入る
”そこに正しき者のひとりとておるや?”
でも自分はそんなに変われず相変わらずウジウジするんだろう
息を吐くように差別発言する同僚にちょっとずつ問題提起していこう
音楽を作りたい、でも頭の中で妄想するだけで何も手をつけてない
作りたいものが少し見えてきてる、それを形にすることを考えただけでしんどいなって思っちゃう
だからアルバムタイトルを、決意のように決めた、同じ本から取った
全くしんどいタイトルでこの日記の冠につけた、崖から落ちるとわかってる道を歩いて崖から落ちる、みたいだ
「彼は立ち上がって拳を突き上げ微笑んでみせる、あたしの目をじっと見据えながら、少しの間その場に立っている、何かが彼からあたしへと伝わる、愛と勇気、そうよ、そう、あたしたちはなんとかしてこれを乗り切る、なんとしてでも、あたしは立ち上がり、拳を突き上げる、彼は振り向き地獄へ戻る、あたしはサハラ砂漠へ向かって歩き出す」