7/23

いらないものを捨てて模様替えをしたら部屋がちょっと広くなった、気がする

ついでにイスを買い替えた、今まで十数年使ってたシンプルな肘掛けのない事務イスは置くとこないので捨てるまで、とベランダに出した

届いた新しいイスはゴツくて黒くて背もたれも頭より上まである、これはさぞかし快適だろうと座ってしばらくくつろいでたとき、急に圧迫感を感じて息苦しくなった

ああーせっかく買ったけどダメかもしれない、顔のすぐ真横に黒い背もたれがあるのが閉塞感を感じるからだろう

ううーっとベランダに逃げてまえのイスに30分ばかし座ってた、ふと試しに薄めのグレーのジャケットをイスの背もたれにかけて座ると何となく圧迫感が誤魔化されて座っていられるようになった

でもどうしていいかわからなくなるとベランダに出てまえのイスに座ってぼんやりする

夜でも外は暑いけどなんだか落ち着く、ベランダに出てるからか馴染みのイスのせいなのかわからない

ベランダにイスがあるのはいいことだ、たぶん

 

4月のこと

仕事でのしょうもない軋轢 どうでもいいと思いながらも、振り払えず脳内で映像がループ再生する
ささやかな変更と反抗を付け加えた内容で再生し、気持ちにキリを付ける
本を開いて文字を目で追うもいつの間にか記憶が廻ってうーっとな

酒をやめた、今後飲まないつもりではある、どうしよう飲み会とかだと飲むかも
迷っている、断って2週間、飲まずにいる為の感覚は分かった
酒は景色を変える、それはやめても同様なんだな、繁華街を歩いてるとこんなに酒に関する情報が多いのかとおもい知らされる そしてそこへ自分はもう関与しないんだということに驚く
酒をやめるとはこういうことなんだ いたしかたない

今回パタッとやめたきっかけはある、でもどう説明すればいいのかな 前々から減酒は考えていて、その日も休みでどうにかしなきゃなと思いながらも、朝から惰性でだらだら飲んでいた 次第に身体がアルコールを分解できずに顔が赤らんできてるのが分かってふと鏡を見たとき、そこに知らない誰かが映っているように感じて、というかそうとしか思えなくて、ものすごい恐怖に陥ってパニックってしまった
いままで感じたことのない感覚だった、で、買って冷蔵庫にしまってあった酒を全部流しに捨てた そのあとも「どうしようどうしよう」とおろおろして知り合いに電話し現状を伝えた それからちょっとずつ落ち着いて、近所に一時間ばかり散歩に出たらだいぶ回復した それで今後も酒をやめず同じ体験をするか、酒をやめるかの二択になり、割とすんなり酒をやめることができた

最近分かったのだけれど、酒のせいだと思っていたその症状は酒が直接の原因ではなかった
でも間接的には影響を及ぼしているはずで、飲まないに越したことはないと思っている
あとそれが分かったので外食の時は飲酒OKとした さっそくのルール変更で幸先不安ではある

ここ数日体内からアルコールが抜けた状態を経験してる
普通の人からすれば当たり前のことなんだろうけど、こんなにも視界が曇らずに過ごせるのかと長らく知らずにいた、忘れていたことすら忘れてた
音楽の聴こえ方もなんとなく違う 細部が聴こえて、その音に対して思考が働く

正直この先も酒を絶って生活できるのか不安はある、ながい目で見ればどこかでまた飲酒を再開する可能性は全然あるんだろう 今はとりあえず本を読むことで酒飲んでた時間の代わりとしてあてがってる

アルコール抜けてから読んだ本

モアメド・ムブガル・サール『人類の深奥に秘められた記憶』

宮地尚子『傷を愛せるか』

コンラッド『闇の奥』

 

 

ちこ

前の記事を書いて1時間か経ったくらいに亡くなった、仕事に行く前で最後のお別れできてよかった、身体をくるんでたタオルのままベットに寝かせた、綺麗な顔で死んでるようには見えない、視界がぼやけると呼吸してるように見えてたじろいだ、ちょっと見守って出社した、仕事中は月末の業務に忙殺されて何も感じなかった、何も感じなかったわけではない、何も考えないようにしてた、考えたけど、仕事の大半が客先ではなく上席を納得させる根拠作りでなんだか馬鹿馬鹿しくなる、仕事中内臓の痛む場所を検索したら膵臓っぽい、勝手に肝臓だと思ってたけど肝臓は痛みを感じる神経がないらしく肝臓がアウトの場合本当に終わりっぽい、16時過ぎに上席が会議で席を立った隙に逃げるように会社を出た、大阪城公園を横切りながら一人になるといろんな思い出が溢れる、ベランダから出て2軒隣の家のベランダまで行って帰ってこれずにうずくまってたこともあった、ふてこいようでビビるとおしっこを漏らす子だった、311の地震の時ともう一匹のねこがスーパーのビニール袋に絡まって走り回って暴れてた時の2回だけだった気もするけど、死んだら部屋の照明を取り替えようと思ってた、随分前から調子が悪く明かりをつけても本読むこともできないくらいの照度だった、大阪城公園突っ切ったその足でエディオンに向かい照明器具を買った、家に帰るのが正直怖かった、愛おしい存在が蝋で塗り固めたように硬直して作り物のように感じたらとそう思うと怖くなった、帰宅して手を洗いうがいをしてベッドにいるその姿を見たら家出る前と同じ寝てるだけにしか見えなくて堰切った様に嗚咽して泣いた、色々話しかけて謝ってありがとうを言った、何もやる気にならなかったけど一方的な約束事のように照明器具だけ取り替えた、部屋が明るいよちこ

 

 

 

 

亡くなる前の最後の写真

1/31

ねこが肺がんだと診断された、毎日膝の上にきて寝てて確かにちょっと辛そうな時もあったけど、そんなにだと思ってなかった、言い渡されて数日で一気に容態が悪化した、呼吸が苦しそうでどの対処が最善かがわからない、慌てふためいて変なことして苦しめてるかもしれないと思うと辛い、ご飯(水分)を食べさせるタイミングも難しい、ねこは健気に生きる以外の選択肢がない、そんな状況なのでコンビニ以外外出せず、外に出てちょっと歩いた時、周りにはこんなに生き物がいるのかと、自分が歩くことに反応して飛び立つ鳩とかこの生物全部が遅かれ早かれ似た苦しみを経て逝くのかと、同時に自分の冷酷さも認識する、今苦しんでいるのは自分ちのねこでその他への生物への思いというか感情は書き割りのように流れていく、多分それに気づいた瞬間怖くなったからだけど、自分が目にした生物からしたらこっちを見てどうでもいいようにどうでもいい思考なんだとおもう、うちのねこは苦しんでいる、神に祈るということのついて考えてた、祈ることは死ぬまでついてくる一番嫌なことかもしれない、俯瞰するとただの右往左往なのだ、でも何かを信じて縋るのは誰しもにある、ねこが苦しんでる、肺にある癌を取り除いてください奇跡を起こしてくださいなんて全く思わない、できるだけ苦しまないようにして欲しいとしか、症状があまりにもひどくもう今日中だろうと思ってたらさらに呼吸は苦しそうに喘いでいるねこを見て安楽的な処置とそのままの生きる意志どっちを尊重すべきか全くわからない、おしっこの度起きて苦しそうだ、その度悲鳴をあげる、ずっと抱いてると呼吸の乱れも治って少し眠る、正直亡くなってから書こうと思ってた、現実は思っている想像なんか打ち壊して迫ってくる、美談になんかならない、死後ではなく苦しんで生きようとしている今を自分も生きている、数時間後のことかもしれないしもうもう数日生きてくれるのかもしれない、苦しみに向き合って目を逸らす

1/25

何がそうさせたかとかなく1年ぶりにこれをちょこちょこ書いたりしてる、誰に知って欲しい訳でもないことを吐き出すのに役立ってるのかもしれない、今年の始まりのこの一年の厳しさを予告する何かがそうさせているのかも

ここまで書いたけど削除しようかと思うくらいどうでもいい書き出しだったので本題(本題なんてないけど)、昨日今日ものすごい寒波がきてる、正直大阪市内はいつもよりちょっと寒いくらい、万が一自分で見返したときのために書いてる、京都は大変ぽいけど自分の及ばないことは知らない、いつも洗濯物は外干ししてたのでどうしよかなと思ってたら近所にコインランドリーができててそこで乾燥だけすることにした、30分(10分100円)でけっこうカラカラに乾くので便利だ、ただ30分という時間を待つのはちょっと微妙、しっかり散歩すると1時間くらいかかるので森ノ宮駅周辺まで行ってぐるっと飲み屋街を散策してスーパーに寄ればだいたい30分くらいかと目処をつける、22時くらいだったのでやってる店と終いつつある店が拮抗してる感じ、前からやってたのか森ノ宮に鳥貴族があることを知った、出てる看板にうぬぼれ中と書いてる、閉まってるのかどっちなのかよくわからないな、店の中もよく見えない、行くことないと思いながらも気になる、スーパーに寄りチャミスルベビーチーズを買う、出るといい感じに酒入ってる人たちがちらほら歩いてる、ねこが走り去るのを見かける、こう寒いと生存が脅かされるんだろなと心配になる、人よりねこが気になって歩いてたらまたコインランドリーに戻ってた、乾燥終了まで3分くらいか、冷凍ラーメン?の自販機がありそれを紹介するモニターの映像をぼんやり眺める、コインランドリーを紹介する映像に切り替わって使われている音楽がたまに見るyoutubeの漫画の考察動画とよく似てる気がした、同じ作曲者の作品なのかもしれないなとどうでもいいこと考える、フリー素材みたいな感じであるのかも、終始一人だった、ありがたいけど潰れないでいてほしい、下向いて帰ってると映画IT/イットでピエロが覗き出てくるような排水溝があって近所なのに気づいてなかった、ちょっと不気味だけど面白くて見た瞬間笑ってしまった

 

1/20

会社で入社当時からお世話になった方がお昼に亡くなられたと知らされた、コロナになって重篤化したとのこと、ショックを受けたがその後も淡々と業務をこなし同僚とちょっとした冗談を言い合ったりもして、頭の片隅ではぼんやり最後に会って打ち合わせた際のこととか連絡取ったこと思い返しながら、割と自分でも冷静でいれるもんだなと、まあ仕事上の関係性だからかな、とか考えてた、業務的にはもうちょい処理しないといけないことあったけどなんとなくどんより気が重くてパソコンを閉じたら上長に申請した案件指摘されウッとなってもう一回パソコン開こうかと手にかけたけてそのまま1分くらいフリーズしたあとスッと席を立って帰った、Tujiko Norikoの新譜聴きながら大阪城公園をとぼとぼ歩く、マリリン・ロビンソンのハウスキーピングを思い出した、内容もだけど読んでる時の感覚が、なんとなくこのアルバムに似てる気がして、叔母が出てくるけど、その浮世離れ感(ポケットに魚入れてたり)が帰ってきたゴーストのときもそうだけど歌詞の変な感じとか似てる気がする、雨がポツポツ降ってきて空を見上げたら雲はだいぶ遠くにある、どこから落ちてきた雨なのか18時過ぎで目に入る物の輪郭が影と同化する程度には暗い道を歩く、人気ない広い道で鉛をつけられたみたいに足が重く感じる、どんどん重くなって立ち止まったらそのまま歩けなくなりそうだ、立ち止まってしまったらもうそこから歩けなくなる、晩ご飯何食べようかと頭の片隅では思い描いてる、上空は晴れているのに雨が降ってくる、足が引力に逆らえなくなっていくようにどんどん重くなる、立ち止まったらもうそこから歩けなくなる、耳元では今度は一緒に転ぼうかと歌われる、帰ってからすることを考えながら広い道の真ん中で押しつぶされそうになる、歩くのをやめてしまいたくなる、悼むということを知らない、もっと自分勝手な何かだと思う、知らないし、毎回忘れてしまう、ああ今は重く歩けなくなりそうだけど僕はいつか忘れてしまいます、この気持ちを忘れて何食わぬ感じで生きていく、帰って飲む酒のことを考える、最低の日常は続く、重い足を動かし歩いて帰る

ニセ天国

朝から2時間くらい散歩をした、日曜のオフィス街を歩いたので人気がなく元日のような気分になった、冬の曇り空の日が好きだ、薄汚れた白が空全面を覆ってると嬉しくなる、なんとなく建物の輪郭とかがはっきりするので目に入るものすべてに楽しめる、どうしようもないことばかり考えながら歩いた、目に映るものとそこから連想する考えが混ざって浮かんだり消えたり連想からの連想をして新たに目に入ったものが思考を断截して、まだ開いてない飲食店の前を通るたび昼何食べようかと考えて、家出る前に見た著名人の訃報のことぼんやり思い出したりした、どうやって死ぬのかとちょこちょこ考える、突発性のことがなければ内臓悪くして死ぬ気がする、ふと死後について考える、概念としての天国とか地獄、死んで天国に行けると思うのはおこがましい気がするけど地獄はいやだなと思う、できればニセ天国がいい、胡散くさい天国、歩くたび書割が先回りする感じの、そんなことを考えて歩いてるとなんだか楽しくなった、死んだらニセ天国へ行こう、誰も知り合いがいなくて適度に不便なところ、関係ないけど子供の頃母親の本棚にあった丹波哲郎の本の表紙が怖くて死んだらこんな感じでポツンと一人岩の上で過ごすんだって思ってた、ニセ天国はそのイメージを払拭してくれる、死後についてはそれくらいでいようと思う、どうせ誰も知らないのだから

結局散々歩いて近所のかまどやで弁当を買った、いつもメニュー見て悩むふりするけど大関弁当しか頼んだことがない、今日も大関さん、注文したらお店の人が大関さんとオーダーを通す、大関さんはだいたい5分くらい揚げ物の時間がかかると言われる、店内で待つあいだ本棚があるので物色する、3ヶ月に1回くらいのペースでしか行かないけどちょこちょこ置いてる本が入れ替わる、そして不思議なラインナップだったりする、ゴルゴ13が置いてるので手に取ることが多いけど弁当が出来上がるまでに読み切れることはまず無い、承知で読む、前に花言葉をまとめた写真付きの本が置いてあってああいうのはいいなと思った、今日はミナミの帝王とゴルゴの間にトニモリソンのソロモンの歌が置いてあった、それも単行本で、弁当できるまで待つ間に誰が手に取るんだろう、不思議なチョイスだ

アリエでのライブから1ヶ月経った、アンケート書いてもらったの何かの形で出したいと思いながら手をつけてない、できれば早々に、たぶん、はい