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ねこが肺がんだと診断された、毎日膝の上にきて寝てて確かにちょっと辛そうな時もあったけど、そんなにだと思ってなかった、言い渡されて数日で一気に容態が悪化した、呼吸が苦しそうでどの対処が最善かがわからない、慌てふためいて変なことして苦しめてるかもしれないと思うと辛い、ご飯(水分)を食べさせるタイミングも難しい、ねこは健気に生きる以外の選択肢がない、そんな状況なのでコンビニ以外外出せず、外に出てちょっと歩いた時、周りにはこんなに生き物がいるのかと、自分が歩くことに反応して飛び立つ鳩とかこの生物全部が遅かれ早かれ似た苦しみを経て逝くのかと、同時に自分の冷酷さも認識する、今苦しんでいるのは自分ちのねこでその他への生物への思いというか感情は書き割りのように流れていく、多分それに気づいた瞬間怖くなったからだけど、自分が目にした生物からしたらこっちを見てどうでもいいようにどうでもいい思考なんだとおもう、うちのねこは苦しんでいる、神に祈るということのついて考えてた、祈ることは死ぬまでついてくる一番嫌なことかもしれない、俯瞰するとただの右往左往なのだ、でも何かを信じて縋るのは誰しもにある、ねこが苦しんでる、肺にある癌を取り除いてください奇跡を起こしてくださいなんて全く思わない、できるだけ苦しまないようにして欲しいとしか、症状があまりにもひどくもう今日中だろうと思ってたらさらに呼吸は苦しそうに喘いでいるねこを見て安楽的な処置とそのままの生きる意志どっちを尊重すべきか全くわからない、おしっこの度起きて苦しそうだ、その度悲鳴をあげる、ずっと抱いてると呼吸の乱れも治って少し眠る、正直亡くなってから書こうと思ってた、現実は思っている想像なんか打ち壊して迫ってくる、美談になんかならない、死後ではなく苦しんで生きようとしている今を自分も生きている、数時間後のことかもしれないしもうもう数日生きてくれるのかもしれない、苦しみに向き合って目を逸らす