9/26

初詣だとかちょっと遠出した際、神社仏閣に行くと一応参拝する
そういう時何をお祈りすればいいのかよく分かってなくて
何となく世界が平和になりますようにって祈る
アバウトすぎる願い事だけど、とっさにそれ以上叶ってほしいことって特に思いつかず
いつもそうしてた
いつ頃からか、世界の平和なんて祈らなくなった
参拝してもただ手を合わせて心を落ち着けるだけか
目先のちっさい欲をお願いする
酔っ払って失態しないように、とかそんなの
何を境目にそう変わったのか、何が変わったのか、よくわからない
でもどこかを契機として何かが変わったんだと思う

劣等感や惨めな気持ちは中学くらいからずっと変わらず自分に取り憑いていて
何かの拍子に苛んでくる
ただ長いこと抱え続けたせいか、もうその状況にも慣れてきて
そんなに痛みも感じなくなってきた
歳とるってこういうことなのか、自分を受け入れだしたとかそんなでもなく
ただ鈍感になった、でも恥は消えないな

自転車の速度が一番性に合ってる、これ以上速いといろんなものを見逃してしまう
そう思ってたけど、最近は歩く速度がいい
立ち止まれるってのは必要だな
何千回通った道でも散歩中に細部を
地面のヒビとかガム跡とか、草木、ビル、空とかぼーっと眺めてると
飽きないもんだなって思う
でも考え事するには自転車乗ってる時の方が色々と思い浮かぶ

それなりに生きてきてこれまでで大事だなって思ったことは
逃げることと負けること、で
その二つが良くも悪くも自分の根幹になってる気がする
自分の思考が正しいなんて微塵も思わないしもっと知らなきゃいけないこと
学ばなきゃならないことなんて山のようにあるけど
自分のこの考え方が分からなくなって否定するようになったら嫌だなって思う
この思考の基に出会えたものが幾つかあって
それが存在しないみたいになるのが嫌なんだと思う

何書いてるかよくわかんなくなってきたけど、自転車乗ってる時にふとそんなこと考えてた

ええとライブがありますが、また別のに書くか