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夜はもう一度描けると思った
というか描かなきゃいけないのかもしれない
南方熊楠の燕石考という論文に関する本を読んでいたのだけど
春の到来と同時に現れることから春を告げる鳥であるとされるツバメは
同時に湿気と闇の動物であるという
冬の暗く閉ざされた世界から突然現れ、そのツバメに誘われるように
花が咲き暖かい春がやってくる
そのツバメも冬には水中で冬眠するとされている
そういう民間伝承が世界各地に類似した話で存在するらしい

冬の間には水界と密接につながり、春以外では醜い鳥だという
両義的であることから毒を扱い、出産を助け、夜の燕という呼び名もあったりする
姿を見せない冬の間のことでそんな伝承が
しかも遠く離れた場所で同じように語り継がれているってのはおもしろい

行き、戻り、来て、行くのだとしたら
昼の間、夜はどこにあって、どんな状態であるのだろう
もちろん知ってる、ただ科学的事実や物理現象だけではとらえられない側面が
神話的思考で見ることによって新たな側面を新たなつながりを
見つけ出せるのかもしれない

The Illuminated Nightingaleが照らされた夜だとしたら
もう一つの太陽のせいでどこかへいってしまった夜、
あらゆる混沌が出入りする負の夜とでもいうものが
そこは常世や地獄にもつながるのではないか

そんなことを考えているけど、それをテーマにするには
そして最終的に円環させるには圧倒的に知識が足りない