呑みのはて

トンボの季節、どの時期をさしてそういうのか分からないけど
自分の中では今の梅雨終わりくらいにわっと飛び出す感じがそれに該当する
何トンボなんだろね、秋に飛び回ってるのとまた種類が違うんだろうね

3年前の今頃と状況がなんだか似ている
現在の体重があの頃と同じだ、あの頃ぶりの減だ
最悪&アルバム作ってるとことか
文章力は格段落ちたな、なぜかあの頃の方があった、気がする
ということは作曲能力もそうかもしれない


3年前の今頃から本腰入れて『んんん』ってのを作りはじめた
一応んんんのブログということで、こないだの呑みのときもそういう話したんだけど
アレはよいアルバムですよ
自分で言うのもなんだけど


最後の曲から物語が始まって最初の曲で終わりを迎える
最初に自分を祝福してくれる存在に出会うのだけど
そんなものは何の役にも立たなくて、初々しかったヒロインは老い
諦念の中もがくように死んでいく


このアルバムのいちばんの見せたいことはなんなんだろう
ひょっとしたら祈りなんてのは何の役にも立ちませんでした、ってことなのかもしれない


祈りとか想いなんかで救えない
今回のことでつくづくそう感じた


原発ってのには根っこがみっしり地下に這ってるイメージがある
反対の声が高まる度、狂気のようなものが見え隠れする
誰かがあの連帯感は美しいと言っていた
そんな言葉じゃなかったかもしれないけど、まあ、感動したんだ、と
ゆっくりと息を詰まらせていく人がいる気がする
呑みにいった人はナウシカの話に例えてた
いつか苦海浄土のような視点が現れるだろうか


あの教授と呼ばれてる人の発想は坊々の発想だな
っていうのは共通した認識でした